東京地方裁判所 昭和38年(ワ)2191号 判決 1966年9月09日
原告 星野勝次郎
右訴訟代理人弁護士 近岡孝吉
被告 株式会社第一相互銀行
右訴訟代理人弁護士 平田政蔵
主文
被告は原告に対し、金三四六万六、九四四円およびこれに対する昭和三六年八月一二日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
<全部省略>
理由
一、成立につき争いのない甲第一号証および原告本人尋問の結果によれば、原告が訴外会社に対しその主張のような貸付金損害金債権を有し、原告主張の公正証書が作成されたことを認めることができる。そうして、原告が、昭和三六年八月九日、右債務名義に基づき、訴外会社が被告に対し有していた別紙第一目録記載の債権のうち定期預金債権金一〇四万四、九四四円ならびに定期積立預金債権金二四二万二、〇〇〇円に対し債権差押および転付命令(東京地方裁判所昭和三六年(ル)第一九二九号、同年(ヲ)第二二八七号)を得、右命令が同月一〇日被告に、同月一一日訴外会社にそれぞれ送達されたことは、当事者間に争いがない。
二、そこで被告の相殺の抗弁につき検討する。
(一) <省略>によると、被告は昭和三四年一二月三一日、訴外会社と手形割引、手形貸付の取引をするにあたり、「訴外会社が、被告に対し負担する総べての債務中の一つの履行を怠った時、若しくは訴外会社が債務不履行の虞れがあると被告が認めた時には訴外会社は手形の満期前に於ても、被告より請求あり次第、直ちに手形債務の支払い、償還の責に任じ、或いは担保を提供する」旨の特約(乙第二号証第六条いわゆる期限利益喪失約定)および「訴外会社が、被告に対する総べての債務中の何れか一つの履行を怠った場合、被告において債権保全のため必要と認めた場合には、訴外会社の被告に対する諸預け金、その他の債権は総べて訴外会社の被告に対する一切の債務に対し、右債権債務の期限の前後或いは到否に拘らず、訴外会社への何らの通知を要せずしてその対等額において相殺弁済されても異議ない」旨の特約(同号証第七条、いわゆる相殺予約)が締結されていたこと<省略>訴外会社が昭和三六年七月一八日、同会社振出の金額一七万五、〇〇〇円支払人東京都民銀行なる小切手を不渡りとし、又同年同月二四日訴外会社振出の金額一〇〇万円、支払日前同日、振出地および支払地東京都大田区、支払場所被告蒲田支店、受取人被告の手形(第二目録(1)の(イ)の手形貸付のための手形)を不渡りとしたことが認められ、<省略>。そうして、被告が前記いわゆる期限利益喪失約定および相殺予約に基づき、昭和三六年八月一一日付、翌一二日到達の内容証明郵便をもって訴外会社に対し、前記第二目録記載の(1)、(2)、(3)の各債権を自働債権とし、前記第一目録記載の(1)、(2)、(3)、(4)の一部金四万四、一三五円の各債権を受働債権として相殺する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
ところで、前述の被告と訴外会社との間のいわゆる期限利益喪失約定および相殺予約の趣旨は、訴外会社に、信用を失うべき、債務不履行若しくはその虞れがある事由が生じた時、その事由発生当時現存していた被告と訴外会社との間に相対立する全債権債務につき、右事由発生を条件として、相殺適状に達していないのにかかわらず、又両債権の弁済期の前後を問わず直ちに相殺適状が生じたものとして被告より相殺できるものとし約定相殺権を保留せしめる趣旨と解すべきである。なお被告は、右のいわゆる相殺予約による相殺は、右事由が発生すれば当然に相殺されたことになり何ら相殺の意思表示を要しない趣旨であると主張し、乙第二号証の手形取引約定書にはそれにそう記載があるが、前記のいわゆる相殺予約は相殺適状発生事由として「被告が債権保全のため必要と認めた時」などという主観的認定にかかる事実もその一事由とし、かつ相殺の目的とされる債権を具体的に特定、明示していないのであって、右特約の文言に従う限りいつ相殺されるべきか、また、いつ相殺されたかは外部からうかがうすべもないこととなり、債務者およびこれに利害関係を有する第三者の地位を著しく不安定ならしめる結果となる。従って、右特約の趣旨は、乙第二号証の表現に拘らず、少くとも相殺の意思表示を必要とするものと解さなければならない。
(二) 次に、民法第五一一条は第三債務者が差押後に取得した反対債権による相殺をもって差押債務者に対抗できない旨規定しているので、その反対解釈として、差押前に取得した債権による相殺は差押債権者に対抗し得ると解されるが、第三債務者が差押前に取得した債権であるからといってその弁済期の如何にかかわらずすべて差押債権者に相殺をもって対抗し得るものではなく、差押当時両債権が相殺適状にあるとき、および反対債権(自働債権)の弁済期が未到来でも被差押債権である受働債権の弁済期より先に到来するものであるときに限って相殺を差押債権者に対抗し得ると解すべきであり債権者と債務者の間で相対立する債権につき、将来債務不履行等一定の事由が発生した場合には両債権の弁済期のいかんを問わず、直ちに相殺適状が生ずる旨のいわゆる期限の利益喪失約定およびいわゆる相殺予約は、相殺をもって差押債権者に対抗できる場合に限って差押債権者に対し効力をもち得ると解すべきである(昭和三九年一二月二三日最高裁大法廷判決民集第一八巻一〇号二二一七頁)。
(三) 被告主張の訴外会社に対する債権につき検討するに、別紙第二目録(3)(イ)、(ロ)の各債権は、いずれも手形割引による債権というのであり、被告は、手形貸付による債権(同目録(1)の債権)と右手形割引による債権とを載然と区別して別個の債権として存在を主張し、しかも右手形割引による債権については確定期限ある弁済期の主張をしていないのであるから、これら弁論の全趣旨によれば、右手形割引による債権は、同目録(3)の(イ)、(ロ)の各手形の売買に基き右手形の不渡等の事由が発生したことを停止条件として被告が将来取得すべき手形の買戻請求権をいうのであり、本件においては、乙第二号証の手形取引約定書によれば、第三条所定の手形債務者が取引停止処分を受け、またはその支払能力を欠くと認められるに至った場合、第八条所定の手形債務者が支払を停止し、または停止するおそれがあると認められた場合、被告の請求により手形の満期前においても買戻義務が発生する旨の約定であったことが認められる。ところで、右手形割引による債権について、手形債務者であるべき訴外会社が前記認定のように取引停止処分を受けたことは明らかであるが、被告が右手形の買戻請求をしたことは、本件全証拠を通じてみてもこれを認めるに足りる証拠がない。もっとも、成立に争いのない乙第三号証によれば、被告は、昭和三六年八月九日付で訴外会社との間で別紙第一目録記載の預金債権等と第二目録記載の右手形割引による債権を含めて訴外会社に対して有する債権等とを差引、清算した旨の解約書が作成されていることが認められるが、他方成立に争いのない乙第一号証の一、二によれば、訴外会社に対して右相殺の旨の同日付内容証明郵便を同月一一日発送していることが認められるのみならず、右内容証明郵便料金までが前記解約書に記載されているのであり、これに証人津田の証言を併わせ考えれば、かえって、被告は、訴外会社の再建による債権の回収を期待して相殺手続を延引していたところ原告の前記預金債権の差押、転付命令の送達により、急いで右内容証明郵便をもって訴外会社に対する相殺の通知をしたこと、右相殺の通知には、前記割引手形の買戻請求の意思表示は包含されていず、その他にも同請求をしたことがなかったものと認められる。従って、右手形割引による債権(手形買戻請求権)は、未発生であり、これを自働債権となすべきよしがないといわなければならない
<以下省略>。